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それは、確か僕が9歳の頃の春だ。
僕は、父が大好きだった。
牧場を経営していたんだけど、決して裕福ではなかったと思う。
朝も早くに母の優しい声で起こされ、父の強い声に突き動かされた。
毎日毎日、フォークで牧草を運んでいた。
朝日が昇りきる頃にはすっかりヘトヘトになった僕の頭を叩くように撫でながら、父は搾りたての牛乳を飲ませてくれた。
その瞬間は、一日の中で何よりもの楽しみだった。
父は、たくさんのことを教えてくれる。
牛の世話、乳の搾り方。羊の世話。毛の刈り方はもっと大きくなったら教えてくれるそうだ。
牧場のことはたくさん教えてくれる父だったが、それ以外のことはあまり話さない。
ただ僕が走り回る姿を見つめては、微笑んでいたのを覚えている。
ある日、確か僕は派手にこけて、見事に膝を擦りむいたんだ。
ひりひりとした痛みとジワジワと溢れてくる血に、僕は泣きじゃくっていた。
そんな日だったと思う。
父は泣きじゃくる僕の前に座り、ただ僕を見つめていた。
てっきり慰めてくれるものだと思っていた僕はアテが外れ、泣き続けたんだ。
父は、そんな僕に言った。
「一人で立ちなさい。」
なんという父であろうか。僕は抱いてほしいんだ。大丈夫かと言ってほしいんだ。僕の痛みを分かって欲しいんだ。
父は僕を叱るわけでもなく、ただ優しくそう言ったまま、僕の前に座り続けている。
どれくらいの時間が流れたかはわからないが、泣き続けるのも力が要る。
結果は僕の粘り負けといったところだろうか。僕は立ち上がった。
「よし。強い子だ。」
父は満面の笑みでそう言い、僕の膝を拭ってくれた。さっきまで手を差し伸べてくれない父は、完全に吹き飛んでしまった。
父は僕を膝に乗せた。そしてゆっくりと話し始めた。
「誰でも転べば痛いし、けがもする。けがしたくないんだったら転ばないことなんだけど、父さんは、転ぶことを怖がらない方がいいと思う。お前はこんなにたくさん泣いても一人で立てたんだ。お前は、けがよりも強くなったんだよ。父さんは、それが嬉しい。」
正直、何のことだかわからなかった。誰だって転びたくない。血が出るのもいやだし、今日のお風呂が今から怖い。
「でも父さん。やっぱり痛いのはいやだよ。」僕は聞いた。
「痛いのは誰でもいやだよ。父さんだっていやさ。楽しいことをしようと思ったら、色んなけがをするもんなんだよ。痛いのを怖がっちゃったら、楽しいことなんて全部逃げちゃうんだよ。だから父さんは、痛いのも我慢できるよ。」
少し、分かった気はする。僕だって遊びたい。でも遊ぶとよくけがをする。あんまり痛くないのもあるし、すごく痛いのもある。でも、毎日遊んでる。そういうことなのかな。
「じゃあ、父さんも走ってこけちゃうの?僕、父さんが走っているの見たことない。」
僕の質問に、父さんは笑いながら
「ははは。そうだな。父さんは走らなくなったな。でもな、父さんもお前くらいの時はずっと走ってたんだぞ。ずっと走って、転んで、けがをしたさ。」
「痛いの我慢したの?」
「いや、泣いたよ。たくさん泣いた。父さんも大きくなるまでどれくらい泣いたか覚えてないよ。たくさん泣いても、また次の日には走っていたな。お前だってそうさ。今日までにたくさんこけて、たくさん泣いてる。でもまた今日も走ってこけたんだ。」
父が意地悪そうに笑う。
「もう、こけない。こけないように走る。」僕は少しムッとした顔で言った。
「そう、それでいいんだ。こけないように走ればいい。きっとまたこけちゃうこともあるからね。それに、今日お前は一人で立つことを覚えたんだ。たくさんたくさん、走ればいい。」
父は僕をまたこけるヤツだと思っている。そんなにドン臭いヤツだと思っているのか。
「父さんはひどいや。」
そう言って父の顔を見上げた。父の顔は、全然意地悪な顔じゃなく、笑顔だった。いつもの父が見せる笑顔じゃない。当時の僕には理解できなかった。そんな笑顔だ。
父は、見上げた僕の目を見てからまた、微笑んだ。そして真っ直ぐ空の方を見ながら話し始めた。
「痛いっていうのは、生きてるってことだ。生きてるから痛いんだよ。痛いのがいやだからって逃げちゃうと、そこで死んじゃうのと同じなんだよ。父さんはな、お前にたくさん生きて欲しい。だから、痛い思いもたくさんしてほしいんだ。これからお前がもっと大きくなると、たくさん痛いことがあるよ。こけて血が出ちゃうような痛みだけじゃない。色んな痛みがみんなに来るんだ。とっても嬉しい痛み、とっても悲しい痛みがあるんだよ。もちろん今の父さんもたくさん痛いことがある。悲しい痛みもある。でもな、父さんは一人で立つんだよ。今日お前が立ったみたいにね。」
父は僕を抱きしめた。強いような優しいような、あまりにも心地よく、抱きしめた。
「お前は強くなるんだよ。強い強い、男の子になるんだ。どんなことがあっても、立ち上がるんだ。泣いちゃうこともあるだろうね。いっぱい泣けばいいよ。でも、最後には、きっと立つんだよ。そうしてくれたら、父さんはとっても嬉しいな。」
初めてだった。父が僕にこういうことを言うなんて。
突然すぎて僕はドキドキしていた。
立つ。最後には立つ。うん、なんとかできそうだ。うん、今日僕は立ったんだ。できる。うん、うん。
父が僕から手を離し、僕は立ち上がった。父に振り返り、得意げに僕は言った。
「父さん、僕なるべく泣かないようにするし、今日みたいに立つよ。それって強いってことなんだよね。」
「ああ、強いぞ。父さんの子供は強い。母さんをいっぱい守ってやるんだよ。」
「母さんを守るってどうすればいいのかな?」
「そうだな。まずは朝寝坊しないことかな。」
父さんがまた意地悪そうに笑った。
僕達二人を暖かい春の風が吹き抜け、草がザワザワと揺れる。
「さぁ、お家に戻ろう。母さんがおいしいご飯を作ってるぞ。」
父と僕は、家に戻る。空には小さな鳥がお話するように飛び交う。
そんな、当たり前の一日だった。
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