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とかなんとか言いながら平気で1週間空ける男、エジーです。

いやー肩が痛くて痛くて。
職場で肩に湿布を人妻に貼らせる男。
危なげな香りですねー怖いですねー

前にも似たようなこと書いたけど、「常識」とか「普通」とかって使う人多いよね。
俺もよく言っちゃう。「普通やったら~」みたいな感じで。
自分としては「当たり障りない感じなら」ってな意味合いで使ってるんだけど、あれってよくないわ。
なんでかっていうと、人が人に使う「普通」とか「常識」ってのは所詮自分を物差しにしてると思うのね。
自分なら当然のようにこうするだとか、自分自身が信じてる金科玉条の決まりごととか。
それから外れた行動をとった他人に対して「普通はこうだろ」とか「常識ではそんなんせぇへんやん」とかさ。
それはお前の普通や常識であって、全員が守るもんなんだって誰が決めたよ?となるわけ。

日本国で生きる以上日本国民としての法律は金科玉条のもの。
法治国家なんだから、それは守らんとね。
そこから外れた人はアウトローだの無法者だの無法松の一生だの言われても仕方ないと思う。
自分自身で法に異論を唱えることもできないくせして、法律なんてクソだのなんだのピーチクパーチク吠えてる人は、放っておけばいい。
まぁ、日本国憲法とかの法律は普く通じるべきもの。即ち普通なわけだ。
たかが一個人が他者に対して己の普通と常識を押し付けるなど笑止千万。

もちろん十人十色で、みんながみんな自分の中での普通と常識を持っているだろうね。でもそれは、自分が社会で生きていく中で、自分のために身につけたものなんじゃないのかね。それは倫理であり、知識であり、道徳であり、経験であり。それこそ様々。

他人が自分と同じでないのなんて当たり前なんだと思うよ。
自分が求めてるものを他人が持ってないことなんてザラだと思うよ。
自分の社会観がこうだからって、それに達してない人間をこき下ろせる道理がないだろう。
個人の感性なんてものはあくまで個人のもの。他者に押し付けたり同じものを求めるなどおこがましい行為だね。

ってなわけで、俺の「常識」はともかく「普通」はちょっと脱線気味なとこあるんで、なるべく使わないように心がけてます。
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何か書かないと1週間空いたらクセになる。
ダメよーダメダメそれはダメー
秩父山脈について書いてもいいと許しが出たがパワハラにより却下されたw
ってことで、最近DVDが出るぞってな感じで話題になってる気がするレッドクリフのことでも。
っていうかレッドクリフ、見てないんですけどね。

孔明が10万本の矢を集めるシーンはあるんでしょうか。
孔明を殺さんがために呉国の周提督が「10日の内に10万本の矢を用意してくれ」って無理難題吹っかけて、できなければ殺す口実を作ろうとしたあれですね。
あれって言われても知らねーよ。という非難が聞こえてまいります。

まぁ孔明は10日と言わずに3日でやりますわーって言って、見事10万本の矢を作るわけです。
周提督はそれ見てアハーンこいつすげーってなるわけですね。

だからなんだって話なんですが。

あの話、ウソです。いわゆる脚色です。実際のエピソードはあるんですが、孔明じゃなく孫権ですね。

んで最大の見せ場は孔明が東南の風を呼び起こし、呉国を勝利に導くってやつですね。
魏国の船団を焼き払わんとするためには東南の風が吹かないとだめだと困ってた周提督に、孔明が「私東南の風を吹かせる術知ってるよー」と持ちかけて、祭壇を作ってそこで祈祷して実際に東南の風が吹いてよっしゃーってなるわけです。
んで周提督はアハーンこいつやっぱすげー。こんなやつここで殺しておかんと呉に災いがーってなって孔明を殺しにいくのですが、孔明はまんまと自国に帰ったってなるわけですね。

まぁ、話の流れからしてわかると思いますが、あれもウソです。


とまぁひどいこと書いてますが、三国志好きなんですよ。
ちなみにウソだなんだと言ってる話は「三国志演義」っていう、実際の三国志をもっとドラマチックにお話チックにしたやつです。
っていうか大体俺らが知ってる三国志はこの演義に基づいてたりするのですがね。

そんな三国志好きとしては、様々な登場人物の中から自分はどの人物なんだろうかなとか考えたりしますわな。
劉備?曹操?いや孫権?とか偉そうに考えますが
実際の話、俺がその時代にいたらただの町民の一人か、サラリーマン的な歩兵だったりするんでしょうね。
馬にまたがり、颯爽と戦場を駆ける武将は、言わばミルコ・クロコップとか金本知憲。その頭脳で策を練り、戦局・政局を操作する参謀は言わば羽生善治名人とか島田紳助。

勝てねーって。
春になるとウグイスが鳴く。
夏になるとセミが鳴く。
秋になるとコオロギが鳴く。
冬になると俺が泣く。

まぁ冬のはどうでもいいとして、とにかく鳴く。
ニワトリだって毎朝のように鳴いてくれてるし
俺だって毎晩のように泣く。

まぁ俺のは本当にどうでもいい。

鳴くってのも、全てに対して意味があってやってんだよね。
多くは求愛。次に危険伝達くらいか。
人間で言うとこの「俺発情しちゃってるから愛してる」とか
「50m先にピンクハウス着たマツコデラックスが」
みたいなもんですな。

自然界には、無駄が一切ない。効率的とかそういう話でもない。
ただ、余裕がないんだろうね。
効率的だから無駄がないんじゃなくて、余裕がないから無駄を排除した。
強い個体は縄張りを主張し、同種の中で自分がより強い子孫を残せるとアピールする。メスは本能的に強いオスの子を求める。弱いオスの子なんて産んでも仕方がないってくらい、生存競争が厳しいからだ。
小魚とかの弱い個体は、群れる。群れてとにかく多くの子孫を残す。
群れないと生き残れないし、チョロチョロ生んだところで全部食べられる。
森羅万象全てが余裕なく、無駄なく周る。

その森羅万象から外されたのが人間。
変な余裕持つし、とにかく無駄だし。
絶不調の時とか、ひどい失恋の時とかに「落ちるだけ落ちたらあとは上がるだけ」とか言いますわな。
あれ、逆もあります。
上るとこまで上ったら、あとは落ちるしかない。
さて、我々は落ちるのを待つ身でしょうか。
それとも、まだ上る余地があるのでしょうか。
それを頭でわかっていても、解決策などあるでしょうか。
百の見識は一の経験に劣ります。東大出たからってその人間が立派ってのとは違うのと一緒。
そもそも解決策があったとしても、様々な欲と無駄の快感を知った俺たちはその策を実行できない。
もし落ちる日が来たなら、その時に身体で分かるんでしょうな。
あらゆる生き物がいかに余裕なく生きようとしたのかを。
驕れる者も久しからずだね。人類。
自分に自信持つことってのは大事だし
自分に恥じない生き方をするのも大事。
なんでずっと「自分」「自分」って言うのか。
おいおい、こいつ自分のことしか考えてねーのかよ。とか思うだろう。
いや、それで結構。
自分のことすら考えられない人は、他人のことなんか考えられない。
そう、自分のことを考えるのは、他人のことを考えるためだ。
自分を分析し、自分の何が秀でているか。自分に何が足りないか。
自分の強みと弱みを知ることで、他人に対する接し方が見えてきやしないか。
他人に接することで、さらに自分自身の強みと弱みを知ることはできないか。
自分を知り、自分を見ることにはそういう意味があると感じている。
この世に生まれた以上、一人で生きることなんてできやしない。
仙人じゃあるまいし、霞を食うなんてできるわけない。
人一人が生きる以上、他人を少なからず巻き込むのだ。
自分自身に自信持ちすぎて、他者を蔑ろにしてやしないか。
自分を高めることは人より優位に立つことだと勘違いして、高い山から見下してる気になってやしないか。
自分を高めることは、つまりは人のため、ひいては自分のためだ。
何度でも言いたい。自分一人で生きている気になってやしないか。
人の温もりにほだされたことはありやしないか。
明日のメシはたった一人で調達できるか。
自分を高めるためには、人の助けが必要なんだ。
自分自身のレベルが高いとか勘違いしちゃいけない。

さて、何回自分って書いたことやら。
ざるソバがうまい。
どうしようもなくざるソバが好きだ。
どれくらい好きかって言われたら、しとしとと雨が降った今日の晩飯に汁ソバじゃなくてざるソバを作るほど好き。
冷蔵庫にネギも天かすもなかったが、ワサビと卵で薬味はOK。
ウズラ卵がなかったら鶏卵でOK。
あ、そういやー僧侶とかって卵も食わないのだろうか。
夢・・・無性卵だったら殺生したことにはならないし。
んーどうなんだろうな。

理想はラクトベジタリアンだ!って毎度言いながら、焼肉とビール、焼き鳥とビール、その他諸々の煩悩を断ち切れない毎日。

そりゃそうと、ざるソバがうまい。
しかし、消化が早い。腹減った。。。
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エジー
性別:
男性
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