長ったらしい言葉をタラタラ並べても、たった一言で同じ影響を与えられると思う。
言葉というものは、話し手の言葉選びも大事だが、聞き手の受け取り方も大事。
なんてったって、コミュニケーションツール。相手がいなくちゃ成立しない。
相手が悠長な言葉を求めているのか、率直な言葉を求めているのか。
それを見極められたらコミュは円滑だろう。
でもなんちゃって物書きとしては、いかに短い言葉で伝えられるかってのに燃えてしまう。それで余計に変態扱い。
言葉というものは、話し手の言葉選びも大事だが、聞き手の受け取り方も大事。
なんてったって、コミュニケーションツール。相手がいなくちゃ成立しない。
相手が悠長な言葉を求めているのか、率直な言葉を求めているのか。
それを見極められたらコミュは円滑だろう。
でもなんちゃって物書きとしては、いかに短い言葉で伝えられるかってのに燃えてしまう。それで余計に変態扱い。
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酒飲みから言わせてもらうと、人は1杯のビールのために生きてるんじゃないかと思う日がある。
ただ、この1杯のビールをいかにうまく飲むか。その一瞬のために生きる。
その為なら、どんなことだって乗り切れる。どんなことも我慢できる。
辛い思いをすればするほど、締めの1杯がうまく飲める。
1日、1週間、1年、一生。
その九割九分は辛いかもしれない。
残りの一分、うまいビールで締めるように
全てを飲み込めるっていうんなら
七難八苦、どんとこい。
どんな苦難もこの1杯のビールの隠し味に変えてやる。
ってなわけで、今日もうまいビール飲んだんで寝ます。
ただ、この1杯のビールをいかにうまく飲むか。その一瞬のために生きる。
その為なら、どんなことだって乗り切れる。どんなことも我慢できる。
辛い思いをすればするほど、締めの1杯がうまく飲める。
1日、1週間、1年、一生。
その九割九分は辛いかもしれない。
残りの一分、うまいビールで締めるように
全てを飲み込めるっていうんなら
七難八苦、どんとこい。
どんな苦難もこの1杯のビールの隠し味に変えてやる。
ってなわけで、今日もうまいビール飲んだんで寝ます。
いやーなーんも書くこと思いつかねーや。
こういうとこ悪い癖だなー。
思いつくままにサラサラ書けばいいんだろうけど
それが思いつかないの。
例えば、なんか物語的なもん考えてても、プロローグ辺りで終わっちゃうんさね。
基本のあらすじができて、あとはキャラ付けと肉付けだ!ってなとこで飽きる。
そういえば、昔、スーパーファミコンとかで「サウンドノベルツクール」ってのがあってね。名前の通り、サウンドノベルをツクールやつね。
あれやってても、タイトルが表示されるまで、つまりプロローグで見事に飽きてね。そっからしっちゃかめっちゃかな展開に。分かれ道が右と左にあって、どっちかに行くとゲームオーバーとかそんな伏線も何もあったもんじゃないって感じの、アメリカ横断ウルトラクイズの〇×クイズみたいな。そんなつまらんもん作ってたなー。
その他にもRPGツクールってのもあって、名前の通りRPGをツクールんだけどね。あれもダメ。飽き性な自分万歳。
まぁ総じて言えることは、好奇心は数多くあれど、情熱が長続きしないんだな。きっと。情熱を持ち続けるって大変なことだわ。
日々惰性で生きながら、こんなんじゃだめだって思いながら、じゃあどうすればってのも分からない。そのうちなんとかなるだろうって考えで毎日過ごしてるもんだから、「そのうち」がいつかなんて危機感も感じてない。
昔、南国少年パプワくんで、シンタローが日本に帰るとき「またいつかきっと・・・」って言いかけた時、パプワくんがすかさず
「いつだ」
「いつかなんて日はいつだ!」
って言ってたなぁ。
そう、「大人はすぐにまたとかいつかとか言っちまうんだよ」なぁ。
「いつか」も「また」も「そのうち」もなく、生きている子供のような大人。バカらしく見えるけど、そういう人こそが大きな大輪を咲かせるのかもしれないな。
と、自分の弱点を知りながらそれを克服できない俺は笑止千万也。
こういうとこ悪い癖だなー。
思いつくままにサラサラ書けばいいんだろうけど
それが思いつかないの。
例えば、なんか物語的なもん考えてても、プロローグ辺りで終わっちゃうんさね。
基本のあらすじができて、あとはキャラ付けと肉付けだ!ってなとこで飽きる。
そういえば、昔、スーパーファミコンとかで「サウンドノベルツクール」ってのがあってね。名前の通り、サウンドノベルをツクールやつね。
あれやってても、タイトルが表示されるまで、つまりプロローグで見事に飽きてね。そっからしっちゃかめっちゃかな展開に。分かれ道が右と左にあって、どっちかに行くとゲームオーバーとかそんな伏線も何もあったもんじゃないって感じの、アメリカ横断ウルトラクイズの〇×クイズみたいな。そんなつまらんもん作ってたなー。
その他にもRPGツクールってのもあって、名前の通りRPGをツクールんだけどね。あれもダメ。飽き性な自分万歳。
まぁ総じて言えることは、好奇心は数多くあれど、情熱が長続きしないんだな。きっと。情熱を持ち続けるって大変なことだわ。
日々惰性で生きながら、こんなんじゃだめだって思いながら、じゃあどうすればってのも分からない。そのうちなんとかなるだろうって考えで毎日過ごしてるもんだから、「そのうち」がいつかなんて危機感も感じてない。
昔、南国少年パプワくんで、シンタローが日本に帰るとき「またいつかきっと・・・」って言いかけた時、パプワくんがすかさず
「いつだ」
「いつかなんて日はいつだ!」
って言ってたなぁ。
そう、「大人はすぐにまたとかいつかとか言っちまうんだよ」なぁ。
「いつか」も「また」も「そのうち」もなく、生きている子供のような大人。バカらしく見えるけど、そういう人こそが大きな大輪を咲かせるのかもしれないな。
と、自分の弱点を知りながらそれを克服できない俺は笑止千万也。
あー、明日バレンタインなんですね。
とにかくこの日には無縁でして。
中学時代、好きだった子からの「義理チョコあげようか?」というお誘いも突っぱねたという筋金入りのシャイボーイなもんでして。
もう、義理とか友とか逆とか意味わかんない。
義理チョコ貰ったら義理を返すのが筋。
例えば中学時代の話だとすれば、俺が義理チョコを貰った日、俺たちの学校にチェ・ホンマン・ド・チョコラッテが現れた。
バレンタインに見放された男達の強力な怨恨が意識体として具現化し、恋人の日に浮かれきったボーイズ&ガールズを粛清しようとしていた。
その地獄の底から聴こえてくるかのような怨嗟の声は高速のカマイタチのように周囲を襲う。
あっという間にカマイタチに包まれた2組の谷君は南海キャンディーズの山ちゃんのような髪型にされてしまった。
そのチョコの行き先が注目されていた6組の岡本さんはキューティーハニーの変身シーンみたいになってしまった。それはそれでありがとう。いや、むしろ超ありがとう。
そして今、怨嗟のカマイタチは止まることを知らず、俺の好きな子に照準を定めた。
やめろ!と言うが早いか俺は駆け出した。
アノ子がキューティーハニー・・・アノ子が・・・アノ子が・・・
想像豊かな中学生。アノ子の窮地を考えるだけでスピードが30%落ちた。
そんな俺の苦悩も知らず、カマイタチはアノ子まっしぐら!
その手には・・・義理という言葉では片付きそうも無い、丁寧に包装されたモノを握り締めていた。
”バレンタインなんてー!”
そうか!あいつらはチョコに反応している!チョコから発されるカカオ臭を嗅ぎ付けて襲い掛かってるんだ!
俺はすぐさまポケットに手を突っ込み、アノ子に貰った・・・義理とはいえ、その日の宝物のチョコをチェ・ホンマン・ド・チョコラッテに投げつけた。
”む!?チョコの匂い!?”
チェ(略)が俺の投げたチョコに反応し、一瞬動きが止まった。
だが、そのチョコがチロルチョコだと知りスルーしやがった。
チロルチョコでもそのチロルチョコは俺にとって10円どころか1億以上の価値があるんだ!それを・・・!
俺のスピードが元に戻った。元に戻ったという表現は正確ではない。恥も外聞も捨てて暴れウマの鞭みたいになった。
カマイタチがアノ子を飲み込もうとしたその時、俺はチェ(略)の前に立ちはだかった。
「うわぁぁぁぁ!!」
猛烈な竜巻に巻き上げられるかのように俺は抗う術もなくカマイタチに蹂躙されていく。
薄目を開けるのがやっとの中、アノ子がそれを茫然と見つめているのが見えた。
「なにやってんだ!逃げろ!早く!」
元はアノ子に襲い掛かるつもりだったカマイタチは、俺の制服をズタズタに切り刻んでいく。こんな恐ろしい仕打ちをアノ子にするつもりだったのか!
「でも、エジー君が・・・」
アノ子が呟く。少し、涙が出そうになった。だが、これはジャパニーズ・バレンタインの風習。義理チョコを貰った以上果たさねばならない。
いや、例えもらっていなくても俺は駆け出していただろう。アノ子を守るため。でもそんなこと言えないんだ。俺の気持ち、君に伝える勇気はまだ持てない。それに、君には本命のカレがいるんだろう・・・?
「気にするなよ・・・!義理だからさ!これで返したぜ!うおおおぉぉぉ!」
ほぼ全裸に近い状態で俺はカマイタチの逆周りを始めた。
下半身がうまいこと軸になったようで、回転はグングンと増していった。
”ああ、俺が消える!やめろ!やめろぉ!”
チェ(略)が断末魔の叫びを上げる。こいつも、いや、こいつを生み出した男達も、平等に2月14日を迎えたはずだった。
だが、神は非情だ。朝、家を出た途端彼らは2月14日という日から排除されてしまうのだ。まるで今日という1日は前田君や高橋君、黒田さんや松本さんのためにしか存在しないかのように。
いや、俺もその排除されるべき一人なんだ。それを、義理チョコを貰ったってだけで浮かれて・・・!
チェ(略)の叫びが弱弱しくなる中、俺は、泣いていた。
「もう、大丈夫だ・・・俺たちは、仲間だ。昼休みにはみんなで牛乳飲もうぜ。もう、大丈夫だから・・・」
チェ(略)は消滅した。消えゆく最期”ありがとう”と言ってた。俺、お前のこと忘れない。
かろうじてパンツ一枚残った俺は、ちゃっかり南海キャンディーズの山ちゃんカットにされて廊下に倒れていた。
そんな俺を覗き込む一人の影・・・アノ子だ。
「エジー君。。。わたし。。。わたし」
何かを言いかけるアノ子。だが、俺はそれを遮るように言葉を発した。
「義理だって言ったろ。泣きそうな顔してんじゃねーよ。笑ってるほうがいいぜ。ほら、誰かにそれ、渡すんだろ。早く行けよ」
精一杯歯の浮くようなキャラを演じたつもりだった。あれ?ひょっとしてその手に持ってるのはマフラーとかで俺に?とか40%くらい期待してた。
アノ子はいつものようにとびきりの笑顔になった。
「そうだね!ありがとう!じゃあね!」
と走っていってしまった。
これで、いいんだよなぁ。同志達よ。
廊下の隅に落ちていたチロルチョコを拾い、口に入れた。
口の中が切れていたせいか、少しの甘味と血の鉄っぽい味。しょっぱい失恋の味がした。
ってなもんでして、義理を返すのは大変だというのがわかってくれましたかね。
義理をいちいち返すのは面倒くさいってんで断り続けたら誰にも貰えないキャラになりました。
とにかくこの日には無縁でして。
中学時代、好きだった子からの「義理チョコあげようか?」というお誘いも突っぱねたという筋金入りのシャイボーイなもんでして。
もう、義理とか友とか逆とか意味わかんない。
義理チョコ貰ったら義理を返すのが筋。
例えば中学時代の話だとすれば、俺が義理チョコを貰った日、俺たちの学校にチェ・ホンマン・ド・チョコラッテが現れた。
バレンタインに見放された男達の強力な怨恨が意識体として具現化し、恋人の日に浮かれきったボーイズ&ガールズを粛清しようとしていた。
その地獄の底から聴こえてくるかのような怨嗟の声は高速のカマイタチのように周囲を襲う。
あっという間にカマイタチに包まれた2組の谷君は南海キャンディーズの山ちゃんのような髪型にされてしまった。
そのチョコの行き先が注目されていた6組の岡本さんはキューティーハニーの変身シーンみたいになってしまった。それはそれでありがとう。いや、むしろ超ありがとう。
そして今、怨嗟のカマイタチは止まることを知らず、俺の好きな子に照準を定めた。
やめろ!と言うが早いか俺は駆け出した。
アノ子がキューティーハニー・・・アノ子が・・・アノ子が・・・
想像豊かな中学生。アノ子の窮地を考えるだけでスピードが30%落ちた。
そんな俺の苦悩も知らず、カマイタチはアノ子まっしぐら!
その手には・・・義理という言葉では片付きそうも無い、丁寧に包装されたモノを握り締めていた。
”バレンタインなんてー!”
そうか!あいつらはチョコに反応している!チョコから発されるカカオ臭を嗅ぎ付けて襲い掛かってるんだ!
俺はすぐさまポケットに手を突っ込み、アノ子に貰った・・・義理とはいえ、その日の宝物のチョコをチェ・ホンマン・ド・チョコラッテに投げつけた。
”む!?チョコの匂い!?”
チェ(略)が俺の投げたチョコに反応し、一瞬動きが止まった。
だが、そのチョコがチロルチョコだと知りスルーしやがった。
チロルチョコでもそのチロルチョコは俺にとって10円どころか1億以上の価値があるんだ!それを・・・!
俺のスピードが元に戻った。元に戻ったという表現は正確ではない。恥も外聞も捨てて暴れウマの鞭みたいになった。
カマイタチがアノ子を飲み込もうとしたその時、俺はチェ(略)の前に立ちはだかった。
「うわぁぁぁぁ!!」
猛烈な竜巻に巻き上げられるかのように俺は抗う術もなくカマイタチに蹂躙されていく。
薄目を開けるのがやっとの中、アノ子がそれを茫然と見つめているのが見えた。
「なにやってんだ!逃げろ!早く!」
元はアノ子に襲い掛かるつもりだったカマイタチは、俺の制服をズタズタに切り刻んでいく。こんな恐ろしい仕打ちをアノ子にするつもりだったのか!
「でも、エジー君が・・・」
アノ子が呟く。少し、涙が出そうになった。だが、これはジャパニーズ・バレンタインの風習。義理チョコを貰った以上果たさねばならない。
いや、例えもらっていなくても俺は駆け出していただろう。アノ子を守るため。でもそんなこと言えないんだ。俺の気持ち、君に伝える勇気はまだ持てない。それに、君には本命のカレがいるんだろう・・・?
「気にするなよ・・・!義理だからさ!これで返したぜ!うおおおぉぉぉ!」
ほぼ全裸に近い状態で俺はカマイタチの逆周りを始めた。
下半身がうまいこと軸になったようで、回転はグングンと増していった。
”ああ、俺が消える!やめろ!やめろぉ!”
チェ(略)が断末魔の叫びを上げる。こいつも、いや、こいつを生み出した男達も、平等に2月14日を迎えたはずだった。
だが、神は非情だ。朝、家を出た途端彼らは2月14日という日から排除されてしまうのだ。まるで今日という1日は前田君や高橋君、黒田さんや松本さんのためにしか存在しないかのように。
いや、俺もその排除されるべき一人なんだ。それを、義理チョコを貰ったってだけで浮かれて・・・!
チェ(略)の叫びが弱弱しくなる中、俺は、泣いていた。
「もう、大丈夫だ・・・俺たちは、仲間だ。昼休みにはみんなで牛乳飲もうぜ。もう、大丈夫だから・・・」
チェ(略)は消滅した。消えゆく最期”ありがとう”と言ってた。俺、お前のこと忘れない。
かろうじてパンツ一枚残った俺は、ちゃっかり南海キャンディーズの山ちゃんカットにされて廊下に倒れていた。
そんな俺を覗き込む一人の影・・・アノ子だ。
「エジー君。。。わたし。。。わたし」
何かを言いかけるアノ子。だが、俺はそれを遮るように言葉を発した。
「義理だって言ったろ。泣きそうな顔してんじゃねーよ。笑ってるほうがいいぜ。ほら、誰かにそれ、渡すんだろ。早く行けよ」
精一杯歯の浮くようなキャラを演じたつもりだった。あれ?ひょっとしてその手に持ってるのはマフラーとかで俺に?とか40%くらい期待してた。
アノ子はいつものようにとびきりの笑顔になった。
「そうだね!ありがとう!じゃあね!」
と走っていってしまった。
これで、いいんだよなぁ。同志達よ。
廊下の隅に落ちていたチロルチョコを拾い、口に入れた。
口の中が切れていたせいか、少しの甘味と血の鉄っぽい味。しょっぱい失恋の味がした。
ってなもんでして、義理を返すのは大変だというのがわかってくれましたかね。
義理をいちいち返すのは面倒くさいってんで断り続けたら誰にも貰えないキャラになりました。
人を感動させようと狙いに狙った挙句失敗するモンって多々ある。
感動させる気なんてないのに、結果人の心を動かすモンも多々ある。
どこが分岐点なんだろうかね。
人ってのは不思議なもんで、「本気度」を感知するセンサーが付いている。と、思う。
布袋寅泰がなんとなしに適当に「俺うまいんだぜオーラ」出して弾くギターよりも、氷川きよしが友人の結婚式のために3ヶ月みっちり練習した弾き語りのほうが多分人を感動させる。そんな事実ありませんが。
カラオケで酔っ払いの俺が歌うコブクロより、陣内が結婚式で歌ったコブクロのほうが人を感動させる。笑いも取れて一挙両得。
なぜ例えに結婚式ばかり持ち出すのか、そんな自分に落胆する。
まぁなんにせよ、人にいい影響を与えられる人ってすごいと思うわけ。
人にいい影響を与えるには、自分をいい方向に持っていけないとだめなんよ。
適当に仕事してアッパラピーって酒飲んで電柱抱いて眠りについて、目が覚めたら頭痛くてコンビニで迎え酒じゃーってカップ酒飲んでるようなやさぐれ者には到底できない芸当なわけ。
自分を高めることができれば、自分を見る人の目が変わる。相手に見てもらうってのは、相手に見方を変えてもらうんじゃない。相手の見方を自分が変えるんだ。
相手に見方を変えてもらってる場合「がんばってるね」とかよく言われる。「がんばってるね」じゃまだ足りない。
本当のがんばりは、「がんばってるね」なんて言わせられないもんだ。
「がんっばってるね」と言われなくなった。でも自分は前を向いている。
その時、相手の見方を自分が変えたということなんだ。
目標に向かっての道中
立ち止まってもいいし、座り込んでもいいし、泣いてもいい。
歩いてもいいし、走ってもいいし、膝を擦りむいてもいい。
もちろん後ろを振り返ってもいいし、後悔してもいいし、反省してもいい。
ただ、その目ははるか先を見据えていたい。
人は、そんな人の「本気度」を敏感に察知する。
人を感動させるのなんて、そんな人たちへの外伝的なプレゼントだ。
感動させる気なんてないのに、結果人の心を動かすモンも多々ある。
どこが分岐点なんだろうかね。
人ってのは不思議なもんで、「本気度」を感知するセンサーが付いている。と、思う。
布袋寅泰がなんとなしに適当に「俺うまいんだぜオーラ」出して弾くギターよりも、氷川きよしが友人の結婚式のために3ヶ月みっちり練習した弾き語りのほうが多分人を感動させる。そんな事実ありませんが。
カラオケで酔っ払いの俺が歌うコブクロより、陣内が結婚式で歌ったコブクロのほうが人を感動させる。笑いも取れて一挙両得。
なぜ例えに結婚式ばかり持ち出すのか、そんな自分に落胆する。
まぁなんにせよ、人にいい影響を与えられる人ってすごいと思うわけ。
人にいい影響を与えるには、自分をいい方向に持っていけないとだめなんよ。
適当に仕事してアッパラピーって酒飲んで電柱抱いて眠りについて、目が覚めたら頭痛くてコンビニで迎え酒じゃーってカップ酒飲んでるようなやさぐれ者には到底できない芸当なわけ。
自分を高めることができれば、自分を見る人の目が変わる。相手に見てもらうってのは、相手に見方を変えてもらうんじゃない。相手の見方を自分が変えるんだ。
相手に見方を変えてもらってる場合「がんばってるね」とかよく言われる。「がんばってるね」じゃまだ足りない。
本当のがんばりは、「がんばってるね」なんて言わせられないもんだ。
「がんっばってるね」と言われなくなった。でも自分は前を向いている。
その時、相手の見方を自分が変えたということなんだ。
目標に向かっての道中
立ち止まってもいいし、座り込んでもいいし、泣いてもいい。
歩いてもいいし、走ってもいいし、膝を擦りむいてもいい。
もちろん後ろを振り返ってもいいし、後悔してもいいし、反省してもいい。
ただ、その目ははるか先を見据えていたい。
人は、そんな人の「本気度」を敏感に察知する。
人を感動させるのなんて、そんな人たちへの外伝的なプレゼントだ。